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自浄作用を発揮するためには、調査権限と医師を処分する権限、あるいは、病院を処分する権限が必要です。
ところが、医師の団体は日本医師会を含めて、強制加入の団体ではありません。
私自身、日本医師会には所属しておりません。
処分できるとしても、加入している医師に対し、会員としての資格に関する処分しかできません。
医師の団体が医師免許を交付しているわけではありませんから。
この点で、法律で権限が付与されている弁護士会とは全く異なります。
元に戻します。
ある元検事と議論していて、「医療業界にはひどい隠蔽体質がある。
明らかに非があっても、全く謝ろうとしない」とひどく非難されました。
反論しませんでしたが、一方的なものの見方をする方だなと思いました。
少なくとも現在では、医療側にくらべると検察のほうがはるかにこうした体質が根強いと確信しているからです。
検察は現在でも無謬を前提としています。
めったなことでは謝りません。
裁判官も同様で、間違えても責任は取らず、謝ることも一切しない。
自分たちは免責されるのが当然だと思っている。
確かに憲法は裁判官の身分を保障していますが、免責までは規定していないはずです。
裁判官、検察官を含む公務員個人に対して損害賠償請求ができるかどうかについて、説は分かれています。
国家賠償法第一条一項では、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定しています。
同二項では、「前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があったときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する」と、国または公共団体が、故意と重過失に限定して公務員に求償できるとしています。
被害者に対する公務員の直接的な賠償責任について説は分かれていますが、判例や通説では、被害者は公務員に直接的な求償はできないとされています。
理由について、宇賀克也氏が書いた『国家補償法』には、以下のような記述があります。
「行政が非常に複雑多様化した今日においては、公務員は自己の職務上の行為の適法性を判断することが困難な場合が稀でなくなり、また、公的部門においては、積棲果敢に行動することにより公益が増進されても当然視されることが多いのに対して、自己の行動が国民に損害を惹起すると、強い批判を浴びる傾向がある」「公務員は、市場メカニズムに委ねることが困難な公共財を提供することが義務づけられることが多いので、その不作為による機会費用は大きいが、不作為による被害は作為による被害に比べて一般的にいって可視的でないため、前者によって訴訟を提起される可能性は、後者によるそれに比べて小さいといえると思われる。
そのため、公務員個人責任を認めることは、公務員を危険嫌忌的(risk・aくerSe)にし、公務の適正果敢な運営を阻害し、ひいては、公的部門の人材確保を困難にするおそれがある」これ以上の理由は記載されていません。
今後どうなるか分かりませんが、現在の日本の医療、とくに、入院診療は公共財として運営されています。
ですから上記理由は、医師についても当てはまる。
これらの理由を見るかぎり、裁判官や検察官だけに免責を与えるのを当然とするのかどうか、議論の余地があると思います。
最近は、病院だけでなく、医師個人が賠償を求められることが増えています。
感情的な恨みからくるものでしょう。
さらに医師は、賠償責任を負うだけではなく、ときに過失犯罪の被告として刑事責任まで問われるのです。
一方で、検察は被告を有罪にするために、被告にとって有利な証拠を意図的に提出しないことがあります。
被害者から見れば、過失ではなく故意犯罪とさえ思うかもしれません。
刑事、民事でともに免責を受けるためには、それなりの理由が必要です。
とくに、他の職業と比較した上で納得できる論理が必要ですが、法律家は自らの免責事由を十分には提示できていないと思います。
「過つは人の常、許すは神の業」一九九九年に本がアメリカで出版されました。
翌年には本邦でも翻訳され『人は誰でも間違える』というタイトルで発売されました。
このタイトルは(過つは人の常、許すは神の業)という章句の前半だけを取ったものです。
実のところ、医療の安全に関する本としては、インシデント(誤りはあったが被害がなかった事例)報告を過大に評価しすぎるなど、現時点でみれば陳腐なものといってよいと思います。
しかし、何と言ってもタイトルが絶妙でした。
大げさかもしれませんが、これによって世界全体で医療についての考え方が変わったともいえる。
病院は無謬を前提にするのではなく、間違いは起こるものだということが前提になったのです。
〇三年に厚生労働省は、大学病院などの特定機能病院や新人医師に臨床研修を行う臨床研修指定病院に、医療安全管理者を置くことを義務づけました。
厚労省についていえば、私はその政策、施策には本音が足りないといつも感じていましたが、これは大英断だったと思います。
これ以後、病院の安全対策、事故への対応が急速に改善されつつあります。
医療提供者として残念ですが、医療側だけで自発的にこのような努力が始まったわけではありません。
通常の医療が刑事事件化するようになったことも、医療側の改善行動を促す大きなきっかけだったことは間違いありません。
病院には多くの苦情が寄せられますが、その中には相当数のクレーマtが含まれます。
病院は外部にそれを公表するわけにいきませんから、こうした実態が世間の目に触れることはありません。
しかし、有害事象(過失の有無に関係なく、医療行為によって生じた望ましくない結果)が起きると、クレーマーは病院に対して執拗な攻撃に出ます。
クレーマーは病的人格を持った人間ではなく、ごく普通の人です。
世間の風潮に乗って、一〇〇パーセントの安心と安全を求めている。
死を恐れる以上、安心は得られるはずもない。
生きることへの欲望と不安が、攻撃性に変容してしまっている。
病院はメディアが騒ぐことや社会からの批判を恐れて、しばしば無茶な言い分を辛抱強く聴く。
問題行動をたしなめることもしない。
こうなると冷静な議論はできません。
こうした交渉は病院では日常的に行われています。
一方的な攻撃に対応する職員が、心労のため入院に追い込まれることもあります。
治療は常にリスクを伴う社会は医療に過剰な期待を持ち、そのぶん攻撃的になっています。
医療側は攻撃されても仕方のないような体質をかつて持っていたし、一部ではまだ引きずっている。
こうした状況のもとでは、不毛な紛争が起こりやすくなります。
私自身、このことを八〇年代の末ごろには意識するようになりました。
現代における医療倫理の中心的概念は、インフォームド・コンセントです。
十分な説明をしてできるだけ患者本人に理解してもらい、本人の同意を得てはじめて医療を行うことになります。
医療では、診断や治療のために、しばしば、放射線を浴びせ、薬剤を投与し、手術をします。
いずれも、体に良くないことです。
これを侵襲という言葉で表現します。
医師がよかれと思って診療にあたっても、治療の目的を果たすことなく、かえって、侵襲のために、傷害を受けたり、生命が奪われたりすることが起こります。
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